白隠の「富士大名行列図」の意味するもの 芳澤勝弘

日本の絵画史上、富士山の絵はさほどめずらしいものではない。しかし、この「富士大名行列図」は、さまざまな描画上の工夫によって、白隠の思想が重層的に盛りこまれたものである。白隠の考えるところの「禅」がもっとも総合的に表現されている禅画といってよい。その点で、この絵は白隠禅画を代表する作品である。

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大きく二つに分かれる構図

富士大名行列図をくわしく見てみよう。

概観するに、大きく二つの部分に分けられるように思う。である。

Aでは巨大な白富士が中心になり、これが大部分を占めているが、この部分に描き込まれている人物は、まず、脇街道の茶店に、三人の巡礼者らしき人物が見える。厨子をせおっているから巡礼の六十六部であろう。床机には2人の人物が腰をかけており、そのうちの1人は僧体で、美しい富士の方を眺めている。

脇街道らしき往還には二人連れの乞食のような人物がおり、そのうちの一人はゴザをせおっている。さらには、その前と後に1人ずつ、飛脚であろうか、走っている姿が見える。

この部分だけを見るならば、じつに平穏無事な風景である。その中心に大きく描かれた富士山が、「老胡(ダルマ)の真面目」である。仏性、自性の象徴である。言葉をかえて言うならば、この部分は、聖諦、第一義諦、あるいは真諦を描いたものといってもよい。

それに対して、L形をしたBの部分には、行列を中心におびただしい数の人物が描かれている。行列の配置と人数は、左から順に次のようである。騎馬1鉄砲6騎馬2弓6騎馬1長柄8先箱2騎馬1徒士9陸尺(駕篭)4長刀2徒士3騎馬2毛槍2と、毛槍のところで画面は切れているが、行列は以下に陸続とつづくはずである。傍らに伴うものは、合羽駕篭三何やら箱を背負った人物などが配されている。行列の人々はみな整然と西へ西へと向かっている。厳粛な行列なのだから、脇見をして富士山をながめる人物はむろん1人もいない

川辺には人足を中心に20人ばかりの人物が描かれている。この川は、『東海道分間絵図』と照合して見れば、富士川であることが分かる。現在、東海道新幹線で富士川の鉄橋を渡るときには、これと同じような構図で富士山を見ることができる。もっとも、現在では、このあたり一帯は工場の煙突だらけの無惨な風景になってしまっているのであるが。

対岸は岩淵の宿である。川には13艘ばかりの舟が描かれている。富士川は、大井川、安倍川のような「歩{かち}渡り」ではなく、渡船であったから、いま舟による川越えの準備をしているところであろう。上流にいる6艘は、河渡りに備えて待機しているのであろう。

蟻の行列

このB部分に細々と描きとめられたのは、大名行列を中心とした光景である。さきのA部分が聖諦というならば、この部分はいわば世俗諦そのもの、すなわち世法、俗世間の論理(幕藩体制の根幹制度)、政治経済の世界を、Aとは対照的に描いたものであろう。仏法の真理の世界の中央にデンと「独坐大雄峰」した富士が、さながら蟻の行列のごとき参勤交代行列を睥睨しているところである。じつのところ、少し離れて全体を見るならば、行列の侍たちやその他の人物は、まるで蟻のうごめくように見えるではないか。大名行列を昆虫の行列に見立てて描いた、江戸時代の絵がいくつかあるが、その表現手法に批判性や諧謔性が共通していると見てよいであろう。このB部分に細々と描きとめられたのは、大名行列を中心とした光景である。さきのA部分が聖諦というならば、この部分はいわば世俗諦そのもの、すなわち世法、俗世間の論理(幕藩体制の根幹制度)、政治経済の世界を、Aとは対照的に描いたものであろう。仏法の真理の世界の中央にデンと「独坐大雄峰」した富士が、さながら蟻の行列のごとき参勤交代行列を睥睨しているところである。じつのところ、少し離れて全体を見るならば、行列の侍たちやその他の人物は、まるで蟻のうごめくように見えるではないか。大名行列を昆虫の行列に見立てて描いた、江戸時代の絵がいくつかあるが、その表現手法に批判性や諧謔性が共通していると見てよいであろう。

磨をめぐる蟻

河を渡って、右に曲がる道を進んで行ったところには、険所とおぼしき岩山が描かれている。そして、その後方は何やら暗雲が立ちこめた、怪しい雰囲気に描かれていて、Aの富士を中心とした雰囲気とはおよそ対照的である。富士川を渡ったところにあるのは岩淵の宿場である。その後方は、実際にいくつかの小山があつまった地形になってはいるが、現実にはこれほどきびしい山ではない。白隠は極端にデフォルメして描いたのである。この山道を、八人の人物と二頭の馬が登っているところが見えるが、まるで「蟻の門渡{とわた}り」のようである。

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